文 : 鈴木玲子
Tue.15.Oct.2013
夏も終わり、10月も中旬…。
人の影もまばらになった砂浜。湖月にささくれだったよしず。かき氷の旗もだらしなく下がっている。
夏の終わりに、想い浮かべる、いつもの情景。
そんな夏の終焉の侘しさをものともせず、猛猛しい程の生命力で花を咲かせ続ける木がある。
濃いピンク、淡いピンク、真っ白の花をつける木。それは夾竹桃。
暑さをエネルギー源にするかの様に深い緑の葉をびっしり繁らせる。その中でも、私は白く咲く夾竹桃に心惹かれる。
昔々、60年近く前、こんな事があった。パラパラ雑誌をめくっていた時、その1頁に譜面を見つけた。そして、歌詞を読んで子供心にもショックを受けた。
「故郷の街 焼かれ、身寄りの骨、埋めし焼土に。今は白い花咲く、ああ許すまじ 原爆を三度許すまじ、原爆を我らの街に」
60年近く前の歌詞を今もこうして覚えている。2番もあった様に思うのだが、さだかでは無い。この詞の中の「白い花」というのを子供だった私は、勝手に白の夾竹桃と思ってしまっていた。
伯母に、こんな事を教えられた事がある。
「夾竹桃はね、火事になった時、幹から水を吹いて火を消すのよ」
この話が焼土と子供心の中で結びついたのだろう。
何十年と、この曲が演奏される事は無く、ずっと聴きたいものだと思っていた。しかし、曲も歌詞も私の頭の中にあるだけ、しかも覚束がないもの。
諦めきれない私は、思いつ付きでヤフーで調べてみた。出ていた、見つけた!
作詞浅田石二氏 作曲木下航二氏
やっと巡り合えた。歌詞は、やはり続きもあった。
「故郷の街」から「故郷の海」、「故郷の空」と続いて「三度許すまじ 原爆を 世界の上に」で終わっている。
譜面は、まだ見つけていない。
19歳からノンポリであり続けた私だが、この曲だけは一生忘れられないメッセージ曲である。