文 : 鈴木玲子
Wed.31.Oct.2012
凛として時雨のピエール中野さんの廃墟の写真、「摩耶観光ホテル」懐かしく見せて頂きました。
摩耶観光ホテルは、私達、神戸の団塊世代の青春のシンボルでした。”マヤカンのダンパ”と云えば、とびっきりお洒落で気取っていたものなんですよ。神戸のインターナショナルスクールの男の子達のロックバンドで、ツイストやゴーゴーを踊っていました。今から思えば、青いスノビズムだったのですが。
摩耶観光ホテルが、ホテルとしての営業をやめ、ホールだけを貸していた頃の事です。「落日、燃ゆ」という感じで、摩耶山の緑の中に輝いていました。摩耶山は、六甲山より少し小ぶりの山で、お釈迦様のお母様の摩耶夫人を祀っています。その頂に建つマヤカンは、ケーブルカーでしか行けないんですよ。神戸港を見おろしながら、登って行くのは何とも心弾むものでした。たしか、ケーブルも夜の9時頃が最終で、それ以降は、全く陸の孤島になってしまう…、そんなところもスマートに思えました。神戸のちょっとした有名人は、人目を避けて利用していた様です。今でいう「大人の隠れ家」でしょうか。それこそ、都会の喧騒に疲れたアンニュイな大人、サガンの小説に登場する大人によく似合う、そんなホテル。生意気な子供は背伸びをして、憧れるばかりでした。そんな場所でのダンスパーティーですから、思い出として残らない訳はありません。
ピエール中野さんの写真のマヤカンのホールは、ガランとして、まるで抜け殻の様。その中にポツンとひとつ取り残されたピンクの椅子が、あの頃の華やぎの残り火に見えます。青春へのノスタルジーが、マヤカンの思い出を美化させているのかもしれません。時の流れ、時代の移り変わりを感じるものの、寂しさや喪失感はありません。廃墟となってでも、そこに残っていて呉れる事が喜ばしく、唯ひたすら懐かしいのです。「青春は遠くにありて思うもの」…、そんなものなのかも知れません。