文 : 鈴木玲子
Fri.9.Aug.2013
6月に66歳になり、若者たちに「ロックロック歳」と祝ってもらった。思ってもみなかった程、長生きをしたものだが、逆から言えば、終焉に一歩近づいた訳である。
私には今まさに終焉を迎えようとしているひとりの友人がいる。出逢いは、1970年万博。つば広の大きな黒い帽子の彼女は、まるで黒アゲハ蝶の様だった。それ以来の付き合いで、もう43年になる。その後、私はヨーロッパへ、彼女はアメリカへ。私はすぐに帰国したが、彼女はとうとうアメリカ人になってしまった。ここ何年か日系一世の介護を始めていた。一世の人々は、とてもきれいな日本語を話すそうだ。しかし、彼等の孫は、もう日本語を話せないらしい。そんな彼等の終焉に、彼女は何度か立ち会ったそうだ。その本人が今、自分の終焉に向き合っている。
阪神淡路大震災、この度の東日本大震災の時、日本人は暴動も起こさず、節度ある姿勢であった事をアメリカの人たちは称賛していたそうだ。彼女は自分が元々、そんな日本人である事を誇らしく思ったと言っていた。そして、日本国民に大きな同情と援助を申し出たアメリカ国民の一員になっている事も誇らしいと話していた。
昨年夏、私が懇意にしているバンドがアメリカツアーに出たおりの事、ロングビーチというライブ会場場所に、彼女は高速を30分車で走らせて、日本食のお弁当を差し入れしてくれたりもした。
「私には、もうミッションが無いの…」と話す彼女…、私には答える言葉がない。元来、何事にも執着の薄い彼女なのだが、その電話の声に「異邦人の哀しみ」を感じる。若くエネルギーに溢れている時の外国暮らしは楽しい。しかし、人生の夕暮れを迎える年齢にはきつくなる。
今年の7月、大阪郊外の服部緑地野外音楽堂でドーベルマン主催の野外イベントがあった。震災で亡くなった人々を想い、彼等が歌った「メメントモリ」に…、私の心は震えた。野音にはトンボに混ざって、黒アゲハ蝶が一匹ヒラヒラ舞っていた。
自分の人生の幕引きを準備している彼女は、こんな事もよく話している。「私は根無し草よ…」。遠く離れて何も出来ない私は椅子に座って、「デラシネ…、デラシネ…」と呟くしかない。