文 : 鈴木玲子
Wed.28.Nov.2012
昔々、ある所に…と書き出してもいい位、昔のお話です。
1970年代半ば、私はブリュッセルに住んでいました。パリから移ってきたばかりで、荷物は、まだ、サクレクール寺院近くのアパルトマンに置いたまま。時折、荷物を取りに、パリに出かけていました。特急で3時間程でしたから、充分に日帰りできたのです。その頃は、まだユーロなんて話もなく、たとえ3時間でも国境を越える外国旅行でした。
パリへの道中、窓の外はなだらかな丘陵、牛はリンゴの木の下でのんびりと草をはみ、教会の尖塔は太陽の光を受けて輝く…全くおとぎ話の様な平和な風景が続きます。ブリュッセル発パリ北駅行き。その日はいいお天気で「荷物運搬日和り」、気分も軽やかな一人旅。コンパートメント席ではなく、普通の席に座りました。その時です。
「マドモアゼル、よろしいですか?」と声をかけてきたアジア系青年。もしや同国人では?と思ったのでしょう。「どちらまで?」、初対面同士のありきたりの会話が始まります。
しばらくすると、「ベトナム戦争が終わったんですよ」と静かな口調で青年は言いました。
「北が勝ったんですね。それでいいんですか?」
驚きで思わず口をすべらした私。
「ええ、でも同じ国民が殺し合わなくて済めば、どちらが勝ってもいいんです」
無神経な私の発言に怒りもみせず、静かに彼は答えたのでした。その柔和な表情に、私は恥ずかしさで身の縮む思いでした。
平和運動に敏感だった当事の若者同様、私も当然の事として「ベ平連」は知っていました。ジョーン・バエズもピート・シガーも、ボブ・ディランは勿論の事です。でも、他人の痛みを自分の身に引き寄せて感じる事は出来ていなかったのです。あの頃、自分の気持ちをこんな風には分析出来なかったのですが、今から思えば「身の縮む思い」とは、これだった様です。
あのベトナム青年は、今どうしているのでしょうか。