文 : 鈴木玲子
Tue.5.Feb.2013
先日、テレビで日本文学と日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家のドナルド・キーン氏のインタビューを観ました。アメリカのニューヨークでの生い立ちから、日本語との出会い、そして東日本大震災後、高齢をおして日本に永住する決意をして、日本国籍を取得するまでを話されていました。その中で強く印象に残ったやり取りがありました。放射能で汚染された日本での生活から、風評被害についての質問でした。
「どう思われますか?」と聞かれた第一声が「卑怯です」。
本当に「ドキッ…」としました。若い親御さんがニュースで話していました、「放射能が恐いので、東北の野菜は子供に食べさせません。全て九州から取り寄せています」。氏は、この事に対して言ってるらしいのです。しかし、そこは氏の事ですから、子供の成育を心配する親心も汲んでおられます。
続けて、こう言われました、「別に食べなくていいんですよ。九州の野菜を食べていいんです。でも、わざわざ話してはいけません」。
長きに渡って、平和のぬるま湯につかっていた私達日本人と、いつも戦争状態にあり、テロの標的となり続けている国民とでは、物事の捉え方、表現の仕方も自ずから異なって当たり前。その中での氏の意見です。大変な思いをしているのは皆同じ、だからこそ、その痛みを共有しようと言われてると私は受け取りました。「絆」とは、そういう事なのでしょう。
「断つにしのびない恩恵」、「離れがたい情実」と広辞苑にあります。するするとほどけてしまうようでは、「絆」と言えない、そんな事を再認識させてくれたドナルド・キーン氏のインタビューでした。