文 : amazarashi 秋田ひろむ
HP
http://www.amazarashi.com/初回限定盤
[DVD・文庫本ブックレット付]
通常版
amazarashi
「あんたへ」
Sat.28.Jun.2014
ちょっと前まで「The Elder Scrolls Online」にはまっていたのだが、早々に飽きてしまったので月額課金を解約しようとして気付いた。他のオンラインゲームの課金を止めていなかったのだ。やらないゲームに一ヶ月分のお金を支払っていた。これは良くない、気をつけなければと思うのだが、ふと考えると僕らの周りには月額課金が溢れている。
オンラインゲームは月額課金が多い。最近はF2P、無料でプレイできるけどアイテムは買ってね、という物も多いが、倉庫を使う権利や成長が優遇される権利など継続課金だったりするので気をつけなければいけない。
PS4のオンラインを楽しむ為にはPlayStation Plus加入が必須だ。セーブデータのクラウド保存やフリープレイなど、その他のサービスも充実してきたので文句はない。なにより「ワンダと巨像」を無料で手に入れられたのでそれだけで今のところ満足している。
なにもゲームだけとは限らない。僕が今まで利用した事のあるもので言えばHulu、ニコニコ動画、Music Unlimited、KKBOX、radiko、ドコデモFMなどなど趣味的なものだけでこれだけある。非常に便利で懐に優しい反面、これだけ数が増えると管理が面倒くさくなってくるし、支払う額も馬鹿にならない。
“可処分時間の奪い合い”という言葉が以前からエンタメ世界でのキーワードになっていた。ゲームや音楽、ネットやテレビが、それぞれ個人の自由な時間を奪い合っているのだ。
それは同時に“可処分おこずかいの奪い合い”でもある。元々“可処分所得”という言葉があるが、月々の携帯やネットの使用料金等、僕らの生活に必須になりつつある出費は昔より増えている。
そして残ったおこずかいの中から僕らはお金を払って能動的に楽しむ事ができるわけだが、“可処分おこずかいの奪い合い”の紛争から身を守る事も必要なのではないか?面白そうなオンラインゲームを見るとほいほい課金してしまう僕は、自分を戒めなければいけない。
そして僕はミュージシャンなので可処分時間、可処分おこずかいを奪う側でもある。実際スマートフォン向けamazarashi公式サイト「APOLOGIES」で月額会員を募っていたりする。僕やスタッフの日記、BBSや壁紙ダウンロード、ライブやリリース時には様々な企画も盛りだくさんである。これは宣伝でもあるが、皆さんが自分の身を守るチャンスでもある。今月解約しようと思っていても忘れてしまって「ああまた今月も無駄に払っちゃった」という経験はないだろうか?もしあなたがそうなら、今すぐスマホを手に取るのだ。
なんの話だっけ?
最近海外の新作ゲームの情報を見ていると“クラウドファンディング”という言葉をよく目にする。ネット上で「こんな面白いもの作りますよ」と公開して、それに賛同する人が開発費を幾らか払う、という資金調達方法のようだ。開発者にとってのメリット、デメリットは僕が口を挟んでもなんなので、ゲームファン目線で言えば、とてもわくわくするシステムであるのは確かだ。
好きなゲームの投資者になれる訳だし、エンドロールに自分の名前が乗るとか、自分の名前のキャラクターがゲーム中に登場するとか、ファン心理を上手く付いた特典もあったりする。だが未完成のゲームにお金を払うのだから、それなりのリスクはある。クソゲーになる可能性だってあるし、開発自体が頓挫したという例も実際多い。
そんなリスクをも顧みず思わず出資したくなるようなゲームとはどんなものだろう。
例えばこんなゲームがある。
「Shroud of the Avatar」
Ultima Onlineの精神的続編と言われている。Ultimaシリーズのリチャード・ギャリオットと、Ultima Onlineのディレクター、スター・ロンの開発中のMMORPGだ。
Ultimaシリーズを彷彿とさせる剣と魔法の世界観、シングルプレイでも楽しめる重厚なストーリー、シングルプレイの気楽さとPCベンダーでの売り買いやハウスデコレーションといったオンラインモードのメリットを両立、Ultima Onlineのクラフトシステムを正統継承。これこそ僕が出資すべきゲームではないか。
未完成のゲームにお金を支払うのだから、ウェブページ数枚の情報や、動画の一つや二つで判断するのは早計に思えてしまう。それならどんな要素が僕らゲームファンの心を動かすのかと考えると、やはり信頼と尊敬ではないか。「あのクリエイターがこんなゲームを作るのなら間違いない」という信頼と、「あのクリエイターの新作が遊べるのだから、失敗しても後悔しない」という尊敬の念が同時になければ、僕らの大事な可処分おこずかいを未完成のゲームに明け渡すわけにはいかないのだ。
ここまでファン目線で書いたが、さっきも書いたように僕は可処分おこずかいを奪う側でもある。その目線で考えると、自分のファン心理のシビアさに少しゾッとするのだ。
僕らは果たしておこずかいを拝借するだけの価値がある存在になれているのだろうか?リチャード・ギャリオットにおけるUltimaのような名作を残さなくてはいけない。そしてリチャード・ギャリオットのように信頼されるアーティストにならなければいけない。僕の中のファン心理が、僕というミュージシャンを常に見張っているのだ。