文 : amazarashi 秋田ひろむ
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[DVD・文庫本ブックレット付]
通常版
amazarashi
「あんたへ」
Fri.9.Aug.2013
さて、2013年も半分を過ぎた頃、ゲーマーとして避けては通れない大作が発売されてしまった。「The Last of Us」だ。
発売前から多くの海外ゲームレビューサイトで満点を獲得するなど、鳴り物入り感たっぷりの大型ルーキーの様で、僕は少し穿った目で見ていたのだが、現時点で全世界累計販売数は340万本を突破したらしく、結果として新規IPとしては大成功。Naughty Dogは「アンチャーテッド」に次ぐ新たなブランドを打ち立てたという訳だ。
今回は「The Last of Us」の話という訳ではなく、昨今の“ゾンビゲーム”について話したい。僕が思うにこの「The Last of Us」はゾンビゲーム第三世代の最終型であり、ゾンビゲームは前世代へのアンチテーゼによって進化してきたのではないか?という話だ。
ゾンビゲームの代名詞と言えば、世界的に見ても「バイオハザード」で間違いないだろうが、その日本ゾンビゲームの代表作である「バイオハザード」の始まりは、多くの“ホラーゲーム”の派生でしかなかった様に思う。
日本のホラー映画がJホラーと呼ばれ、ブームになった時期があったが、それと同じ様にゲームの世界にもJホラーと呼ばれていい程のブームがあった。「SIREN」や「サイレントヒル」がそうだ。その中でゾンビの役割はお化け屋敷の驚かせ役でしかなかった。暗がりからのそのそと忍び寄る異形の恐怖だった。これが第一世代。
その後、のろまに忍び寄るゾンビにしびれを切らし、銃や鈍器でゾンビを追いかけ回す者達があらわれた。「Left 4 Dead」「デッドライジング」辺りがそうだ。シューターゲームやアクションゲームとして進化したゾンビはやがて、全速力で走り、強大なジャンプ力を身につけ、ゾンビ殺しが大好物なプレイヤーを狙うハンターとなった。「バイオハザード」シリーズがサードパーソンシューターへと変化していったのもこの時期だろう。
そして多くのゲーマーが気付いてしまったのだ。シューターゲームでスッキリしたいなら別にゾンビじゃなくてもよくない?と。その当時のゾンビは、人間相手でははばかられる流血やゴア表現を、一身に引き受けた悲しきモンスターだった。ここまでが第二世代。
ここまで来てようやく“ゾンビとは何だ?”という命題に立ち返る。貞子や伽倻子ではなく、ゴブリンやインベーダーではなく、憎き敵軍の兵士ではなく、ゾンビでなければいけない理由とはなんだ?
一つの解答はアメリカの大ヒットドラマ「ウォーキングデッド」だったのかもしれない。しかし、ゲームとしての解答は「DayZ」というゾンビサバイバルゲームだった。
「ARMA2」というFPSゲームのMODとして誕生した「DayZ」は、評判が口コミで広がり瞬く間に大人気となった。スタンドアロン版の発売も決定している。一言で言うなら“オープンワールドのMOゾンビサバイバルゲーム”だ。
数十人のプレイヤーが、ゾンビ蔓延るポスト・アポカリプスな島でサバイブするのだ。武器を探し、輸血パックを探し、食料をさがし、街をうろつくゾンビから身を隠しながら、敵か味方かも分からないプレイヤーに怯えながら、最終的なクリアも目標もなく、ただ生き抜くのが目的だ。
この“サバイバル”感覚と“ゾンビのゾンビらしさ”の融和性が第三世代、つまり今現在のゾンビゲームの主流だ。
「DayZ」から派生して様々なゾンビサバイバルゲームが産声を上げている。「State of Decay」「7 Days to Die」「Dying Light」。インディーズゲームからの解答としての「Oregan Trail」。また、懐かしいテキストベースのローグライクまでにも波及して「Rouge Survivor」や「Cataclysm」といった名作も生まれている。
その流れでの「The Last of Us」だ。シングルプレイのゾンビサバイバルとしての完成形だ。恐ろしくて美しくて悲しい、この奇跡的なゲームも、過去に血の気の多いプレイヤーに大量虐殺されたゾンビ達に想いを馳せれば、必然とさえ感じられる。
このブームを「閉鎖感に覆われた社会をサバイブする現代人の心とリンクしているのだ!」と言ってしまうのは簡単だが、単純にゾンビが収まるところに収まった、というだけの気がする。
ようやくゾンビは安息の地を見つけたのだ。心置きなく人間の背後に忍び寄り、血肉を食らう平安な日々を。