文 : 鈴木玲子
Thu.13.Jun.2013
阪神淡路大震災で自分の部屋を無くした愚息。仮設住宅で、仕方なく私の前でCDをかけるようになった。そのCDたるや、クラシック畑で何も知らなかった私には、どれもこれも喧しく「これでも音楽?」と首を傾げるような物ばかりで、甚だしく迷惑であったが…、「これがロックか…」と聞き流すしかなかった。
仮設住宅を出てからも、私の前で何故かCDをかけ続けていた。そんな中でも気になった4枚。
例えば、昔の侍が、森鴎外がどうしたこうしたという歌詞。文語も口語もごちゃ混ぜに思え、摩訶不思議な印象を受けた。それは、エレカシだった。
そして、ひびの入った鐘の様なしゃがれ声で、がなり立てている。これはもう、歌詞は聞き取れないは、メロディーはどうなっているやら、許容範囲を超えていたが、何かひっかかるものがあった。それは、ミッシェルだった。
次は、なにやら私の音楽に近かった。歌詞もメロディーも、耳に入ってくる。そして、バックも凄い。シングルB面の「ねぇ、運転手さん~」と歌う投げやりな柔らかい声に心惹かれた。「このジャジーな人、誰?」…、それは、斉藤和義だった。
最後は、突然「どぉ~お~!」と呼びかけられる。CDに「どう?」と聞かれても、返事の仕様がないが余りにも新鮮だった。それは、中村一義だった。
せまい仮設住宅や、せまいマンションのリビングで、90年代…、我が家では、こんなロックたちが、いつも鳴っていた。「50のロック手習い」は、愚息というフィルターを通して始まった。今や、ライブを聴きに行き、泉大津の夏のイベントにまで出向かせてもらえるようになった。ロック入門から、初級クラスに進級した様だ。
6月9日、ロックを聴き始めた仮設住宅から始まった90年代の日々を想い出していた。