文 : 鈴木玲子
Wed.20.Mar.2013
3月3日、万博公園での「太陽大感謝祭」。ドラムのPIKA★ちゃんの主催でした。高く組まれたやぐらの上で指揮を取る彼女は、まさしく「卑弥呼」。マーチングバンドのバトンのようなものを掲げ、合図を送り、掛け声をかけ、またドラムを叩く。「原始、女性は太陽であった」…、平塚らいてうの言葉通り。やぐらの後ろ側は、33台のドラムががっちり守ります。ここには、いつものライブハウスでお馴染みのドラマーたちもいますが、いつもとは違う表情。時にはキッと指揮者PIKAちゃんを見上げ、時には心を解き放たれたかの様に満足気な笑みを浮かべ、ドラムを叩き続けていました。やぐらの回りはといえば、沢山の人が思い思いのいでたちで、思い思いの楽器を打ち鳴らし、盆踊りさながらにぐるぐると回っています。みんな笑顔。1時間ちょっと演奏は続きました。お鍋を叩く人もいますし、割った竹を叩く人もいます。そう、この千里は昔、竹薮でした。そんな事も思い出されます。
終了後、若者たちはやりきった表情で、お互いを笑顔で労います。43年前、「人類の進歩と調和」をテーマに開催された万博。進歩も調和も達成できないまま馬齢を重ねた私にも、この若者たちの清々しさは届きました。不覚にも、涙腺がゆるみます。ひとり帰り道、広い万博公園を突っきり、太陽の塔の前に出ました。今まで醜悪にしか思えなかったこの塔も、この日ばかりは何とは無しに「愛らしく」思えました。太陽の塔は少し小さく、そして爺々むさくなっていました。彼も、私を見て、同じように思ったはずです。あれから43年も経って、思いもかけなかった地震に津波に放射能にと三重苦になるとは…、彼のあの大きな目でも見通せなかったでしょう。
1970年、太陽の塔も福島原発も誕生しました。みんな、みんな、年を取ったのです。