徒然ウィード
藪下

薮下晃正

1965年 福島県出身。
ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ A&Rルーム3チーフプロデューサーらしい。

TSUREZURE WEEDVOL.05

TX五箇さんからのメールで山田太一『岸辺のアルバム』DVD-BOXが出ていたことを知り、早速アマゾンにて購入!今回が放映35周年を記念して初DVD化。大根(仁)さんやスチャダラパーみたいな太一マニアではないにせよ、やはり僕ら世代にとっては山田太一の『岸辺のアルバム』って決してリアルタイムで体験してはいないんだけれど、そのラストの衝撃度も含め、ある種伝説的威光を放つ作品ではありますね、実際。所謂家族の崩壊と再生という、神話や古典に頻出するような根源的テーマの物語ではあるものの、やはりその端々に漂う山田太一的台詞回し、今見ても実に印象的。そして70年代の作品であり、今見たらかなり時代のギャップを感じるんだろうなと思いつつ見始めたのだが、街の風景や生活環境のディティールは別としてその人間模様、全く風化してませんでしたね!今や自分も40代になり、『岸辺のアルバム』でいえば息子役の国広富之とか『ふぞろいの林檎たち』で言えば中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾に共感してた世代から、むしろ父親役の杉浦直樹の世代にドンドン近付いていて、彼を取り巻く環境、そして痛烈なアイロニー溢れる台詞の応酬にヤラれまくってます(苦笑)。そして母親役の八千草薫の存在が何しろ可愛い(笑)!最近の太一作品『ありふれた奇跡』でのおばあちゃん役も可愛くて、その役柄が何か『岸辺のアルバム』の後日談的にも感じたりして。そういえば太一作品って東京郊外の多摩川沿いが舞台の印象が強く、かつて『今夜はブギーバック』を作ってる頃にスチャダラパーとか小沢(健二)くんとかが、熱狂的に山田太一で盛り上がってたのを覚えてる。確かシンコやアニの松本兄弟が川崎のあの辺出身で、僕は小沢(健二)くんの『愛し愛されて生きるのさ』を聞くたびに『岸辺のアルバム』的風景を連想したり、『ふぞろいの林檎たち』的アナグラムを感じたりします。ちなみに『岸辺のアルバム』は元々、東京新聞に連載していた同名の小説が元になっており、おそらく今も文庫が生きてるんじゃないかな?
山田太一といえば今年1月に急逝した川勝(正幸)さんが、あんなに楽しみにしてたのに最新太一作品『キルトの家』後篇見れなかったんだねって、大根さんやDO THE MONKEY!の佐野(響子)さんが残念がっていたことを思い出す。

山田太一『岸辺のアルバム』DVD-BOX

ちょっと前に友人のMelody fair加藤(信之)くんに誘われて、青山CAYの石川道久セッションのイベントに行った。石川道久セッションのベースの小粥鉄人は以前、僕が担当していたROCKING TIMEのメンバーで、石川さん自身もこだま(和文)さんやリトルテンポの現場でめちゃくちゃお世話になっていた最高のミュージシャン。この日ゲストのTOKYO NO.1 SOUL SET/猪苗代湖ズの(渡辺)俊美くんは、何と僕が福島に転校した時の小学校、中学校の同級生の弟という関係で業界内でも確実に一番古い友人であり、そのポジティヴで男気のある発言、スタンスにはいつも影響を受けまくっている。この日は仕事が延びて会場に着いたのが遅く、残念ながら石川道久セッションはほとんど見れなかったのだが、以前フェスとか新宿のマーズで目にした石川道久セッション、ホントにかっこ良かった!さらにバンド編成での俊ちゃんのライヴもルーディかつグルーヴィで素晴らしかったです!石川道久セッションのメンバーの何人かがバックをつとめている関係で会場でチエコ・ビューティに会い親交を温める。
その日、同会場でDJをしていた山名(昇)さんにも久々に会った!僕はDJとして音楽評論家としての山名(昇)さんをメチャメチャ尊敬している。自分がこの音楽業界に入った頃の91年『レゲエマガジン』特別増刊号として発売されたスカを中心としたレゲエに至るジャマイカ音楽のガイド・ブック『Blue Beat Bop!』なんて、最近単行本として復刊されるまで、そのボロボロの雑誌が僕らヴィンテージ・レゲエ好きにとっては本当に永遠のバイブルでした。当時UKに出張する時は必ずスーツケースに忍ばせてブリクストンあたりの中古盤屋巡りをしたものです。後に僕自身が雑誌のrelaxとコラボしてリリースしたコンピシリーズの『RELAXIN’ WITH LOVERS VOLUME 8 ARIWA LOVERS ROCK COLLECTION』で選曲を山名さんにお願い出来たのは本当に嬉しかった。その時の選曲の裏テーマにローラ・ニーロへの追悼があったり、敢えて禁じ手の同じアーティストの楽曲を重複させたりという山名さんらしいこだわりに満ち溢れた最高の一枚になっている!
そういえば音楽評論家が記した著作集の中には、例えば湯浅(学)さんの『音楽が降りてくる』『音楽を迎えにゆく』とか、(高橋)健太郎さんの『音楽の未来に蘇るもの』とか野田(勉)さんの『ロッカーズノークラッカーズ』とか新旧を問わず僕が影響を受けまくった本が沢山ある。その中でも僕にとって特に愛着のある一冊、それが山名さん20代の著作『寝ぼけ眼のアルファルファ山名昇 第1音楽散文集』なのだ!僕はこの本、史上最強にお洒落で粋でかわいい音楽散文集だと思う。これ実は所謂私家本っていうか、つまり山名さん自身の手により自費出版されている。河村要介による表紙のイラストを始め、往年の晶文社の植草甚一の著作を思わせるような写植、レイアウトの感じ、当時TOMATOESの(松竹谷)清さんによる帯の推薦文、そして帯裏には架空の次号予告、巻末の山名さんの偏愛リスト、そしておそらく当時の自身の自宅の住所、電話番号を記した出版社、巻末の検印のデザインに至るまで細部にわたるそのデイティールへの偏執的こだわりがハンパじゃない!あの小西(康陽)さんが自らの単行本を作る時にこの本を参考にしたというまことしやかな噂を聞いたことがある。ちなみに内容的には70年代後半から80年代初めにかけてのライナーノーツや雑誌に書いた原稿などをまとめたもの、ロックやブルースが中心ではあるものの、レゲエやダブ、スカへの目配せ、ブラック・ミュージックへの造詣も含め、84年当時において、ある種予言的というか、現代に通じる全く色褪せないこの先見性は凄い!この本を読む度に未だに若いDJたちに山名さんが慕われるのが理解出来る。『寝ぼけ眼のアルファルファ山名昇 第1音楽散文集』、もし古書で見つけたならマストバイです!そういう僕自身も実はこの本のデッドストックがあることを知り、数年前に山名さんから直接買わせて頂きました、勿論サイン付きで(笑)。多分、僕にとって山名さん原稿初体験は、以前山名さん自身にも話したが十代の頃大好きだったルースターズの12インチ『ニュールンベルグでささやいて』の表4のイカしたライナーノーツの語り口だった。2004年フジロックでのオリジナル・ルースターズ復活に先駆け、シークレットで行われた新宿ロフトのライヴで山名さんに会った事を覚えてる。

山名昇『寝ぼけ眼のアルファルファ山名昇 第1音楽散文集』(私家本)


                                 
そんな文章を書いていたらタイムリーに神戸が産んだロック漫筆家、安田謙一さんから最新単行本『なんとかなんとかがいたなんとかズ』が届いた。2003年の名著『ピントがボケる音』に続く2作目、坂本(慎太郎)さんによる表紙が素晴らしい!まだパラパラとしか眼を通していないが後書きの「安田謙一セカンド・アルバムのライナーノーツ』の中で、数年前のゆらゆら帝国大阪公演の楽屋で「次の本の表紙を描いてください!」と安田さんがお願いしたというエピソード、当時その場に僕もいたのを覚えてる(笑)。それまでゆらゆら帝国の資料とかフライヤーに音楽評論家とかライターの方の原稿が添付されたことってほとんど無かったのだけれど、当時シングル『美しい』の時に、衝撃的な新しいゆらゆらワールドの誕生を思わせるこの作品に際して、何かその世界感を表現する第三者の文章を付けたいって、確かスタッフ側から提案したような気がする。その時、坂本さんがこの人だったらって提案してくれたのが安田さんだった。今回、『美しい』フライヤーに載せた原稿、そして続くアルバム『空洞です』の原稿も『なんとかなんとかがいたなんとかズ』にちゃんと収録されてます!同書の中で「勝新太郎は勝新太郎みたいに歌う」の最後に「この原稿はもともと川勝正幸さんに依頼されていたものでした。」という一文を見付けた。Pヴァインからリリースされた『「勝新歌大箱」歌いまくりまくりまくる勝新太郎』のライナーノーツとして書かれたこの文章で、安田さんは川勝さんへの哀悼の言葉を綴っている。これを読んでテレビブロスの『「勝新歌大箱」歌いまくりまくりまくる勝新太郎』の記事で、湯浅さんが語っていた「川勝さんが原稿を戻さずに亡くなってしまった」と言うエピソードと安田さんの言葉が合致しました。でも安田さんが代わりに書いてくれたんだったら川勝さんも喜んでるんじゃないかな?僕はそう思います。原稿が遅かったことで有名な川勝さんのことだから寧ろ恐縮してるんじゃないかな(笑)?
(つづく)
 

安田謙一『なんとかなんとかがいたなんとかズ』

Tue.11.Dec.2012